念願のW杯優勝!救世主・メッシの素顔

メッシ

2022年W杯はアルゼンチンの優勝で幕を閉じました。開催時期が11月のシーズン真只中となった事にはじまり、様々な憶測が飛び交った『やや問題あり』のW杯。いざ開催されると、グループリーグでドイツやスペインを日本が破るなど、予想のつかない大会となりました。

初戦のサウジアラビア戦に破れ、幸先の悪いスタートを切ってしまったメッシ率いるアルゼンチン。自身、本大会が5大会目の出場となり、しかも、代表引退まで表明していた為に、ファンたちはこんな形でメッシの代表姿が見納めになるのではと心配したのではないでしょうか?ましてや、BeeBetの詳細解説を読みながらアルゼンチンが全勝無敗でグループリーグを突破すると予想していた方は、冷や汗をかいたかもしれません。

『神の子』から『救世主』へ

若いメッシ

2004年10月16日。バルセロナ対エスパニョール戦。当時、背番号20番だったポルトガル代表のデコとの途中交代で、神の子が舞い降りたところから伝説ははじまります。

『神の子』と呼ばれた選手の名前はリオネル・メッシ。後に2022年W杯を優勝した際には、トロフィーを持って寝る写真をソーシャルメディアに掲載するなど、どこか子供っぽさが残る彼の偉大さに観衆が気づくまでに時間はかかりませんでした。

背番号19番を与えられた2006年シーズンは、自分と同じく『神の子』と呼ばれたアルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナが1986年W杯で観客を魅了した伝説の5人抜きドリブルとほぼ同じコースを辿ってゴールを決める活躍をするなど、後継者として目覚めた瞬間でもありました。

当時はバルセロナの背番号10番だったブラジル代表のロナウジーニョが、世界最高の選手として名を馳せていました。しかし、これで立場は完全に逆転。初めて背番号10番を背負った2008年シーズンはチーム三冠達成するなど、完全にチームの核としてメッシは君臨するのでした。

『GOAT』論に終止符?

クリスティアーノ・ロナウド

同時期より注目されたポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドとは、彼がレアル・マドリード移籍後から毎年の様にリーグ優勝争いをしていました。チャンピオンズリーグ優勝争い、得点王争い、バロンドール争いを繰り広げ、メディアの注目の的になります。
この熾烈な争いに優雅堂の詳細解説を読みながら、どちらが『GOAT(Greatest Of All Time = 史上最高の略)』になるか予想した方も多いのではないでしょうか?

2016年にはクリスティアーノ・ロナウドがポルトガル代表として欧州選手権を制し、世界最高の名に手をかけたと思われましたが、メッシも2021年の南米選手権で見事優勝。そして2014年のW杯ではアルゼンチンを準優勝に導き、ついに今回のW杯では決勝戦で2得点をあげて優勝した事により、自身が史上最高の選手であることを決定づけました。

まとめ

そんな有名人のメッシですが、フットボール選手としての活躍や経歴を辿ってみると、成長障害によって一時はプロとしての道が閉ざされたかもしれないと思われた時期もありました。彼なりの苦労を乗り越えて今があるのです。

W杯メッシ