意外と知らない!?日本の競馬の歴史に迫る

リバティアイランド

颯爽とゴールを目指して駆け抜けていく美しい馬たち。その雄姿に、太古の昔から人々は魅了されてきました。現在も多くの名馬による伝説ともいえるエピソードとともに、ファンを増やし続けている『競馬』。その起源は馬が家畜として人に飼われはじめた有史以前にまで遡ると言われています。

最近ではインターネット技術の進歩とともに、競馬場に行かなくても世界中で行われているレースを気軽に楽しめるようになりました。世界中の競馬 オッズをチェックできるブックメーカーも、日本でその認知度を上げています。ここでは日本でも大人気の競馬の、意外に知られていない歴史について簡単にご紹介していきます。

近代競馬発祥の国

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先述したように「馬の速さを競う」というゲームは有史以前から存在していたと言われています。往年の名作映画『ベン・ハー』でも再現されたような、古代ギリシャ時代に行われた戦車競馬と呼ばれるものや、日本でも平安時代に『競馬(くらべうま)』というものが行われたという記載もあります。チンギス・ハーンを生んだモンゴルなどの遊牧民にとっても、馬の速さを競う競技は重要な文化のひとつとされていました。

そんな中、今日行われている近代競馬の基礎となったのは、16世紀のイングランドで行われたレースでした。当時はいわゆる一騎打ちであるマッチレースなどが主体であったと言われています。

日本の近代競馬史の曙

こうしてイングランドで発祥した近代競馬は、すぐにヨーロッパ中に広まり、それは当時ヨーロッパ諸国の植民地であった国々にも派生していきます。そして江戸末期、黒船来航とともに日本へもたらされることとなったのです。こうして1860年、横浜の元町にある外国人居留地で、日本で初となる西洋式の競馬が開催されました。そして1866年には横浜の根岸に、初めての本格的な競馬場が造られたのです。この根岸競馬場(正式名称は横浜競馬場)は、現在でも横浜の根岸森林公園内に建物の一部が残されており、今でも当時の雰囲気をしのぶことができます。

大衆娯楽になるまでの険しい道のり

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そして1870年に、当時は東京招魂社と呼ばれていた靖国神社の馬場で行われた競馬が、日本人による初めての近代競馬となります。その後、軍や皇室、政界などの上流階級によって競馬は開催されましたが、賭博禁止法により馬券が発売されなかったため、庶民には浸透せずに衰退していくこととなります。

戦争がはじまると、軍馬の育成と資金調達のために馬券の販売が許可され、一気に競馬が広がっていきますが、戦局が悪化した1943年には馬券の販売は再び禁止されました。戦争が終わると再び日本競馬会による公認の競馬が再開されましたが、これもまたGHQによって解体されます。幾度となく厳しい局面を迎えた日本競馬ですが、やがて新たな法律のもとに競技が行われ、1954年になってようやく日本中央競馬会が主催する今の中央競馬がスタートすることとなったのです。

競馬発祥国・イギリスでは王侯貴族や有力者によって築かれた歴史から『王たちの競技 (Sport of Kings)』とも呼ばれる競馬。その歴史に思いを馳せながら、あなたもレースを楽しんでみませんか?

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